とりあえずれおなの部屋

大好きな家族との出来事記録。感じたこと記録。元塾講師だから感じることもつらつらと。

ほう。これがPC専用ページ笑

オンチすぎる。昔自分で設定したはずのPC専用のページを見て、こんなんそういえばあったわ!ってなっているというね、今日はPCより。

 

昨日は母とゆっくりとした時間を過ごしまして

ゆいちゃんが産まれてきてくれてから初めて、こんなにゆっくりと話したわけで。

 

ドライブしながら

お花を観ながら

ご飯を食べながら

お買い物をしながら

そして

ゆいちゃんをお迎えに行く時間まであと少しだったけれど

今日ならイケそうな気がするって

レベル1  15時ピッタリにお迎え

レベル20 15時〜のお外遊びが終わった後のお迎え ←イマココ

レベル38 15時半〜の室内遊び(バスごとのお部屋)のお迎え

レベル55 バスで帰宅

 

先生に電話。スコシオクレマス。ゆいちゃんを信じて。そしてこんな機会でもなけりゃあ

「泣いちゃうんじゃないかな」って心配でお迎えに行ってしまうわたしだから

いい機会。

 

わたしがどうしても飲みたかったローズソーダをテイクアウトしようという母に

「いや、飲んでいこうよ、ゆいちゃんは大丈夫だから」と言ってよかった。

 

たぶん話したかったのはこの話なんだろうな、って思った。

聞いてあげられてよかった。

仙台からつくばに連れてきてしまったけれど、母なりに居場所があって、生きがいがあって。

コロナ禍

仕事

想うことがたくさんあっただろうなって。

やっとまたキラキラと動き出したような、わたしが昔から見てきた母だった。

 

よかった、よかった。

母を必要としてくれる人たちがたくさんいる。

この世に必要じゃない人間なんていないんだろうけれど

なんだか、自分が生きている意味みたいなものを見出さないとやっていけないときってあるし

なんだろう、今みたいに

「あなたは生きているだけでいいのよ」とか自己肯定感とかそういうものが

明らかになっていない時代じゃない、昔も、そしてわたしたちが育った時代も。

 

だから思っちゃうのは当然なんだよなって。

悪いことじゃない。そしてそれが原動力になっていれば、本人が輝いていれば

いいじゃんって。

 

今を取り巻く環境だけを見て子育てってしちゃうけれど

昔は悪い、みたいに思うときもあるけど

幸せかどうかは本人が決めるんだ。

 

そんなことに気づかされた日でもあった。親孝行はもう終わってるからいいの。笑

 

自分の価値観や生きてきた時間を尊重したいな。

 

そして

ゆいちゃん

初めての16時お迎え。信じてよかった。

慣れない子たちと、慣れないお部屋でブロック遊びをしていたところ

先生に肩をポンポンって、きっと「ママがお迎えに来たよ」

くしゃっとした笑顔で走ってきた。

ぎゅうって抱きしめてあげました。ゆいちゃんレベル20

 

と思いきや、今朝

「ゆいちゃん、今日バスで帰ってくるね!」

 

!!!?

もうれんらく帳には お迎え行きます って書いたよ!?

 

慌てて消して、『バスで帰るそうです!!!!!!!』

書き直して送り出す。

ゆいちゃん レベル55

まじか。子どもの成長って早すぎやしないか。

 

負けないようにせねば!