とりあえずれおなの部屋

大好きな家族との出来事記録。感じたこと記録。元塾講師だから感じることもつらつらと。

前半

昨日のブログに、なんだか自慢っぽい表現があったなぁ…いやだなぁ…

と読み返していて思ったので

わたしの昔話をしようと思います。

(耳をすませばを見てなつかしくなったわけじゃないよ。笑)

 

保育園時代

小学生時代

というもの、女の子って成長が早いじゃないですか。

身長が大きい方で、

「自分の着替えも終わっていないのに、他の子の手伝いをしてくれるような子」

というまぁ世話焼き具合…笑

親によく言われていた…

服、ちゃんと着ようよ…と言ってあげたい。笑

 

そんな性格もあって

自然と表側にいることが多く

中学校に入学してもそれは続きました。

 

と言っても

親の不仲とか共働きとか…まぁ色々で

小6で一回グレています。

寂しかったんでしょうね。

親が遅くまで働いていることをいいことに

ゲームセンターに入り浸るわけです。

中学の制服を作るという約束の日

すっかり忘れて

家にいないわたしを探し回って

事実を知って

悲しんでいる母親に謝られ

「あなたと一緒にいる時間をちゃんとつくるから」

と言われてから

正しい道に戻ってきました。

 

そして両親、兄がやっていたバレーボールに

わたしも熱中するわけです。

決して運動神経が良いとは言えず

…と言っても

自分の能力を決めつけることだけはなかったわたしなので

(「本気で何かをやったわけじゃないし…」みたいな大人な考えをもっていた…笑)

夜な夜な足に重しをつけて

父だったり、母だったりと

ランニングを始めるわけです。

両親が参加していたママさんバレーにも参加し

部活から帰ってきて、またすぐにバレーをしにいく…という日々。

そりゃあ上手くなります。笑

1年生の中で唯一一人だけ、ユニフォームをもらうことができ

部活中心、バレーボール命…みたいな女の子になっていました。

ところが次の大会のユニフォームは

わたしではない女の子へ。

後に親友となる女の子です。

わたしとはタイプが真逆の真面目な女の子。

「え?せんせいも真面目じゃないですか!」とこの文章を読んでいれば言ってくれるかもしれませんが

「勉強全然してないし!どうしよう!」とか言いながら、裏でめっちゃやってるタイプの人間なので(性格悪いですね…笑)

当時の努力はそりゃあ誰にも言わず

「最初からできます!そんなん!」

みたいな態度だったんでしょうね。笑

 

話を戻し…

わたしは当然落ち込みます。

親も納得がいかず

担任の先生に手紙を書きます。

(部活担当の先生には言えないから、仲が良かった担任の先生に相談したんですね)

担任の先生から長い長い手紙をもらいます。

ユニフォームがもらえなかった理由は

部活への態度がその子の方が真面目であること

そして

定期テストの点数も加味していること

でした。

べんきょう…

ベンキョウ…

そんなぁ…という状態。

そこそこやって

そこそこな成績でしたが

それじゃあダメでした。

 

めちゃめちゃ勉強しました。

めちゃめちゃ成績が上がりました。

ホント単純。わたし。

 

部活の先生は全てわかっていたのです。

担任の先生からの長い長い手紙にも

玲央奈への試練」とあったのです。

なんか…乗り越えていた。笑

 

そして2年生になり、3年生が引退…

部長決めは多数決で

例の真面目な女の子に票が集まるわけです。

もちろんわたしもその子に入れました。

が…

先生から呼び出され

わたしが部長になるわけです。(多数決の意味よ…笑)

親友…となるその子が副部長になり

足りない部分を補い合いながら

チームが出来上がっていくわけです。

わたしも

そして親友も

今となってはそれがお互いにベストだったのだと思えています。(多分!!)

 

わたしの成長を手に取るように感じていた部活の先生は

生徒会副会長への立候補を勧めてくれました。

責任感とか

正義感とか

あったんでしょうね…一回グレてるのに。笑

いい意味でも悪い意味でも(ほら、グレていたから。笑)

交友関係は広かったので

選挙に出て、当選して。

生徒会で部活に顔を出せずもどかしい日々。

勉強もしないといけない。

いっぱいいっぱいだったけど

やらなきゃいけないことに囲まれて

充実した毎日を過ごしました。

 

もうわかったと思うけれど

こんなふうにわたしを変えてくれた先生との出会いがあったから

わたしは先生になろうと決めたのです。

塾の先生止まりだったけれど。笑

 

さてさて…長くなったので続きは次回へ!